明日のドローイング

明日のドローイング(もしくは個人的実験)は、また1時ごろからやります。
途中、休憩を入れて、間を空けながら少しづつ進めます。
(休憩を入れるのは、今回は完成するまでを作品として見せたいのに一気に描くとすぐ完成してしまうからです。)

住吉駅からストリートギャラリーへ坂を歩いて、ギャラリーに着くひとつ手前の道を右に曲がって少し行ったところにあるカフェがお気に入りです。
ショーウィンドウの中にいないときは、そこにいるかもしれません。
このあたりはイチローがすんでたマンションもあるらしくて、山の手っぽくなかなかよい感じのお店があります。
ストリートギャラリーの少し先にはオーガニックのレストランなんかもあり、ランチタイムにぶらつくのもいいかもね。
私はまだ向かいの焼き鳥屋しか入ってませんが。

ところで、そのカフェには3回ぐらい行ったけど、一回目は芦屋マダムがお受験の話をしていて、なぜか標準語で「ところでお父様のご職業は?」「たくの父は開業医ですのよ。」というような冗談みたいなイメージどおりの神戸の昼下がりを垣間見ることができました。神戸満喫。
そこの何がよいかというと、雑誌が充実していてnational geographicがある。
先日休憩時に読んだ記事は(ちょっとうろ覚えですが、)アメリカのある研究チームが、遺伝子の組み合わせが異なる男性何十人かにシャツを何日か続けて着てもらい、体臭の着いたシャツを異なる遺伝子系列をもつ何十人かの女性に嗅いでもらい、それぞれに一番好ましい匂いのシャツを選んでもらう、という実験をしたところ、多くの女性は自分と最も異なる遺伝子系列を持つ男性の体臭を選んだという。
遺伝子系列が異なると、体内に持っている病原菌に対する抗体などが違うため、自分と異なる遺伝子系列を取り込んだほうがより強い子孫が残せる。
つまり、ヒトの恋愛感情は実はそのようなところにも左右されているという話。

ショーウィンドウに入って描いていると、あたりまえだけど歩いてるヒトが見る。みんなハッと立ち止まって見る。あまり覗き込んでくるヒトは少ない。
初日にじっと見てくるヒトが独りだけ居た。
いかにも神戸港の湾岸労働者ふうのおじさんがガラスの向こう側の正面に立って充血した目で私の目を凝視しながら「ねぇちゃん、絵ーうまいな。絵ーうまいな。」ってずっと言っていた。しばらくしたらどっか行ったけど、おっちゃんありがとう。
その日は描きはじめで隅々に線が点在するのみ。素人的目に絵と認識できる形態はなかったと思うのだけど、なんでうまいと思ったのかな。
エッジはおっちゃんにもわかるのだろうか。
実はそれが絵画って事か。
通りがかったある子供は「こんなとこに絵ー描いたらあかんのに!」って言ってた。やなガキ。実は子供ほど自由でなくルールに厳しい。
帰る時は中に小さな丸い鏡を取り付けて帰っている。
覗くと私が描いている側の絵が見えてその絵の中にその人が立っている事になる。
先週行ったら、その鏡を覗き込んだ人のひたいの跡がガラスにぺっとりついていた。すこし嬉しかった。
先週帰る時は、線の断片が繋がり合い、いろいろと何かの形態のようなものが浮かび上がってきていた。
帰り支度が終わって外に出てひっそり見ていると、知らない女の人やおじさんが立ち止まって絵を見て笑っていた。
形態が出てくるとヒトの中にイメージが生まれるようだ。
私の中から出てきたそれはああいう感じなんだと、そのおじさんの顔を見て思った。ふーん…。
絵画ってつまりはそういうこと。
明日もこっそりやろう。

悩みのたねは、寒いと吐く息が結露して絵の具がガラスに乗らないこと。
なるべく描いた瞬間と同時に均一に定着させたいけどこの素材じゃ無理みたい。重ね塗りして仕上げてますがそこはそんなに大事じゃないです。
いまその関係が一番できてるのは紙を切る作品。
今日はペーパーカットのドローイングをたくさんしました。
雨の日は落ち着く。

京都芸術センター制作室

今年6月に開催の展覧会√rootsで、
京都芸術センターの制作室を使って制作をします。
今週から制作室が使える事になり、今日は始めて荷物を運び入れました。
あいにくのどしゃぶり。
合羽を着て、家から車にベニヤ板や工具を積み込んで出かける。
6時に他のメンバーと待ち合わせ。
備品の長机とイスを運び込む。
今日はそれぞれの作業の動線を考えて大体の場所を決めました。

この展覧会は京都の鹿ケ谷のお寺、法然院で行います。
私は襖絵を創り、大広間に展示するプラン。
頼まれてもいないのに勝手に襖を作って描きます。
合計16枚の襖を描く予定。
芸術センターの制作室でそれを作ります。
元小学校だった芸術センターの制作室はとっても広い。
ここなら充分にできそうです。
もう1つ、講堂に展示する作品は家のアトリエで作る予定。

これから6月までの3ヶ月、ここでじっくり考えよう。
他の作家との共有も楽しみです。
今回の展覧会は、作家間のディスカッションや思索の交流から生まれるものが裏テーマでもある。

そうそう、√rootsのホームページが出来ました。
現在仮ページですが、来月には公開予定。よろしこ。
http://roots2006.com/

神戸と京都の夜

昨日はストリートギャラリーにて6時くらいまで制作。
今回は絵画空間が成立する途中を見せることが目的なので、
成立していっぱいになったら消してゼロにして次の途中を見せなくてはと思っていて。
来る前は今日出来ちゃったら消そうかと思っていたけど、ゆっくりやったら、まだ余地があって楽しめる感じなので、今日はこのまま帰る。
まだ続けることにする。

本当にリアルな図像を結ぶのは無意識の瞬間。

描いているとき私は何を描いているのか。
関係性によって成立する空間のスキマ。

私たちは何を知覚しているのか。したつもりになっているのか。その瞬間、何が脳の中で生成されているのか。

私は今回ガラスに白い線を引いていますが、
絵画の中には何があるのでしょうか?
何もない。○×
ある。○×

むかし空間概念というフォンタナの作品がありましたが、
私はDanGrahamという作家が好きで。
NYでパビリオンもいくつか見たけど、
おととし千葉美術館でやっていた展覧会で、
初期のビデオの作品を見ることが出来てすごく感動した。
観客を背に鏡の前に立ち、鏡に映った観客の様子を言葉で描写していくもの。
ミニマリズムはすごく好き。
でも、私はコンセプチュアリズムやミニマルが排除したイメージの力についても混ぜ込んで考えたい。
いつも時代の反動が表現を作る。
だからソルルゥイットやビュランみたいにただのストライプにはしないし、作品も売る。

イメージや認識できる具象形態が入っていること、陰影がないこと、絵の具の厚みがないこと、が、私の作品がよくイラストレーション的っていわれる由縁だけど、その規定がイラストレーションじゃないのは少し考えれば分ることだ。
それ以前に、安易にイラストレーション=×って思っている人自身が既成概念的で幼稚だと思う。今時そんな人がいるなんて驚かされる。
もう少し考えてみるべきじゃない?
知ってる人も多いと思うけど。
(先日、記事を書いてくださった方はそうではない使い方をしてくれていた。)

空間の関係って、
支持体と絵画の関係でもある。

昨日はストリートギャラリーを終えて、京都に帰ろうと思ったら人身事故でJRが止まっていた。
おかげでギャラリーに届ける作品があったのに間に合わず。
しかし、その後、友人作家に誘ってもらって、偉大な女性作家さんたちの会合にお邪魔する。ジェンダー関係のとても興味深い話ができた。他に、笑いと性欲とアートの関係性など。
こんな馬鹿な私の話を黙って聞いてくれるなんて、なんだか地位のある女性って地位のある男性と違ってゆとりがあるわ・・・。素敵な人達だった。
どうして男性って自分を強く見せようとしてしまうのだろうなぁ。
私は男性こそがジェンダーに束縛されていると思うのですよね。
男性が真に抑圧から解放されるべきなんじゃないかな。

時間

今日の時間ですが、2時から4時に変更になりました。

12日の制作

明日はストリートギャラリーにて2回目の公開制作をします。
1時〜2時と3時〜4時の予定です。
先週のオープニングにて引かれた線が完結する予定です。

来週は他に、平日にも制作をする予定です。
そのときは明日12日に引いた線を一度消し、空間を再編成する制作になる予定です。

ミーティング〜わたしの中の日本的なるもの〜

今日は6月の展覧会のミーティング。
京都芸術センターにam10:00集合。
コーディネーターのYさん、企画者で作家のHさん、作家のPのHくんNくん、Tさん、私。
私たちは毎月集まって、各自の作品世界について発表&ディスカッションをし、研究会をしている。
今日はPのHくんの回。「極楽模型」
あっという間にお昼休憩。
前田コーヒーにてランチ。
その後、今日はついに具体的な作品プランのミーティング。
それぞれが展示プランをプレゼンする。
2人まで行ったところで、
私提案の、展覧会期間に連動開催するライブイベントの打ち合わせに
coccon烏丸のshin-biへ移動。
ディレクターのT氏と他のメンバーを顔合わせ。
お互いのコンセプトを確認し合い、関連企画という形で同時期に開催が本決定。(実は私が一番楽しみです。)
その後、そのままcoccon烏丸のカフェで展示プランミーティング続行。
残り2人がプランを提示する。
個々の作品や全体のテーマとの関係性、「日本的なるもの」について、作品のあり方について、それぞれに捉え方や意見があり、話し合う。
またしてもあっという間に時間は過ぎ、終わったのは夜でした...。

日本的なるものとは何か、ルーツを古典や伝統の中に見出す人、近代以前の日本にはルーツを見出せない人、それについて考えさせることをねらいとする人・・・。
作家として何を見せるべきかという意識の高い作家同士だからこそ成り立つ話ですが、このディスカッション自体がこの展覧会の意義とも言える。


その夜、話の続きで、私がメンバーとのやり取りで送ったメールをあげておきます。

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時間足らずで、昨日説明が足りなかった私の今回の作品に対する考え、もろもろまとめて書いてみます。

○「roots/日本的なるもの」に対する私の作品・考えについて。つれづれ。

私は作品に「日本的なものを取り込もうとしている」というよりも、「もともと自分のDNAの中にある日本的なもの」を自覚的に発言・表現していくといった感じです。
そして、現在の自分の生まれ育ち生活している状況を含めて、それを表現すること。
それは、日本の社会論にもつながる事柄を端的に表すことになると思います。

ほとんど西洋的な教育や生活様式が主流の現代社会で育った自分でありながら、私の中にある感覚に、現在おざなりにされている古典の美術品や思想の中に共通するものがあることを確実に感じる。
いくら西洋社会と全く同じ服を着て生活様式をして美術の技法や歴史や思想を学んでそれが血肉となっていても、全く学校で学えられることの無かった近代以前の日本の伝統文化の中にも自分のルーツがある事を確実に感じる。
明治以降の日本人がおざなりにしてきた伝統を、現代の西洋式の文化様式の中で新しくとらえなおし、自覚し、それを伝えること、それは、私たちの世代がするべき仕事だと私は思っています。
私達の世代は、生まれた時から西洋式の文化は確立していたわけで、私の中には西洋に対するコンプレックスは全くありません。むしろ、逆に西洋的なものはすでにありふれてあるもので、これまで西洋に追いつくためにおざなりにされてきた古典の日本文化に新鮮味を感じます。
例えば、私の母は子供の頃から琴を弾いていて家の屋根裏には大きな琴がありますが、私が子供の頃に習わされたのはピアノで、琴は全く弾けません。親の世代は団塊の世代で戦後に生まれ欧米に追いつけ追いこせで社会を形成してきたわけで、娘には琴なんかじゃなくてテニスやピアノやバイオリンを習わせるというのがステイタスであったわけです。
私にとっては日本の楽器である琴は未知の文化であり、これと同じようなことが他の事でも数多くあると思います。
日本の伝統文化を見るときの私たちは異文化を見るような感覚です。
このことはとてもおかしなことだと思いますが、あまりそれを自覚して言う人はいません。
例えば、日本人で美術大学を出ていてポロックは知ってるけど竹内栖鳳は知らないという人は多いと思いますが、フランス人が美大でポロックは教わるけどコローは習わないなんてありえないですよね。昨日話に出てきた宇治平等院や山越阿弥陀図、菩薩来迎図は日本の国宝ですが、それも美術大学ですら習いません。日本には近代化のねじれが確かにあります。
しかし、この無感覚さもある意味、日本人の特性の1つと言えます。このようなスタンスで違和感無く異文化を取り入れてしまうことは古来日本人の特質でもあります。

日本画がリアリティが無いのは価値観が古いため現代社会とあわなくなってきているからだと言われていますが、私は、それは要するに西洋文化がすでに自らの一部と成り、西洋的な表現や思想に対抗する必要がなくなったからだと思っています。そのため日本画という価値観の存在理由がなくなってきているということではないかと思います。
日本画は、発表形式、表現方法、自己表現のあり方などを近代のヨーロッパのサロンに借りています。それでいながら素材と価値観は伝統的なものに限定して描く。日本人にも西洋と同じ強さで独自の価値観があるんだという事をやろうとしたわけです。
私はその在り方に、もはやリアリティも可能性も見出せない。
また、日本人でありながら西洋の美術史のみを学び、西洋の伝統的な技法を使って描くという事にも、同じくリアリティも可能性も感じられません。
日本画でも日本人の洋画でもない、西洋の美術史も東洋の美術史も自分の文化として踏まえた新しいあり方で表現する事を考えています。
それが私にとっての現代美術であり、今の作品です。
私は、自らのルーツである古典文化を異邦人の目で見直し、現代の言葉で語り、豊かな形に引き寄せる。そういう事をしたいと思っています。
そしてそれは「日本画」がやろうとした対洋画な西洋コンプレックス的な構図ではなく、西洋の文化もすでに自己の文化として取り込んだ今の日本のあり方で融合させること。
社会的に働きかける力を持つ形で具体化するという事です。
例えば、ビニールやラインストーンやキッチュなイメージを使ったりする事は、高尚なもの・日常とかけ離れたものになっている古典と共通する私の表現形態や思想を、日常にあるもの・ジャンクなもので表すことにより、それらの距離を同一にして日常に引きおろすことでもあります。

私は自分にとって必然性のある生殖・増殖の妄想や自然の形を描きます。
現代社会に生きる私の屈折したそれは古代の人から見れば異形の形態であるかもしれません。
しかし、私が紡ぎだすのはなぜ自然の形態なのか?いつも美しい自然と同一化して暮らしてきた日本人の性質を私は自分の中にも感じています。
そして私の中にある、対象物を二次元におきかえる捕らえ方、線の意識、造型感覚、色彩感覚、空間感覚は、
大和絵、狩野派などの古典絵画から、近代の京都四条円山派へ、そこから京都の日本画画壇が近代化しつつも大切に伝えてきた、京都ならではの感性でもあります。
私は、日本画の伝統を否定して筑波や東京でコンテンポラリーな抽象絵画を描いていた頃、自己のオリジナリティを探すうちに自分の中にあるどうしようもないその京風の質・感覚に気づかされました。そして、それは、それ以前の仏教美術や東洋思想ともつながっていることを意識し始めました。
また、アメリカに行った頃、現代美術史は世界共通言語であり、日本の現代美術作家も欧米の前衛作家も、次の表現は何かという同じ問題意識を持っているのを感じましたが、そこで私は、アメリカ人の若い作家と同じ地点に立っていながら、私には彼らとは違う文化のルーツももっているという事を財産に感じました。

このような形で、以前から私は、「ルーツ」と「現在の自分のあり方」の融合を作品の1つの構造としており、今回の展覧会は、まさに自分がこれまで考えてきた事をはっきりとしたテーマに沿って発言するチャンスでもあります。
昨年行った「日本画ジャック」は、日本美術の近代化のひずみや混沌をそのまま見せるという形で、問題意識のある人や全く無い人の全てを同一線上に並べて問題提起を行ったのですが、
今回の「√roots〜私の中の日本的なるもの〜」では、私は、意思を持った作家が集まって日本の今の表現として展覧会として答えを出すことが出来るのではないか、という期待と意識で挑んでいます。そうなってほしいし、もしそういう展覧会になったならば、外に持って行ってもきっと非常に強いものになると思います。

私の考えはこのような感じです。
このようなところが昨日説明不足だったところかな...。
私がなぜ有機形態を描くかというところについても、もっと説明が必要かと思います。また今度書きます。

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「日本」と「ルーツ」という言葉を並べたときに素直にイコールで結べないその「ねじれ」は、注目するべき点なのではないか。



昨日の制作

昨日の制作では、いつも私が絵画制作において、一体何を行っているのか?ということ、つまり絵画空間とは何かということを、客観的に考えることが出来て、興味深い経験となった。
何を行っているのか?それが少し判った気がした。
私は空間を切り取る作業をしているのだけれど、その切り取る行為と絵画空間が成立する間の状態を見せることが今回のストリートでの作品で、これはこの場にふさわしい公の場での個人的な実験である。
考えていた通り、とてもおもしろい体験となった。

白い壁の3メートル四方のショーウィンドウの中から、
白い絵の具で線を引いた。
帰りにはショーウィンドウの中に小さな魚眼ミラーを置いた。
ショーウィンドウを見る人はガラスに描かれた空間と、鏡に映った絵の裏側の表面とそしてそこに立つ自分の姿全体を覗き見ることが出来ます。

ストリートギャラリー

今日は神戸のストリートギャラリーへ行ってきました。
通りに面したショーウィンドウのみの展示スペースです。

JR住吉駅で降りて北口へ出る。赤い看板のJTBの横の道を駅を背にして北へ登る。徒歩3分ぐらい?コンビニの手前、右手にたけうち矯正歯科の看板。そこの黒い枠のショーウィンドウがストリートギャラリーです。

明日から、ここでドローイングによるインスタレーションをします。
白いショーウィンドウの中に入ってガラス面に白い絵の具で線を引き描きます。

今日は、前の方の展示作品の搬出後、ガラス面に実際絵の具を塗って最終チェックをする。
今日までの展示は堀尾貞冶さん。神戸ゆかりの大御所です。
ストリートギャラリーのオーナーである窪田順さんは作家さんで、堀尾さんとのグループ・現場芸術集団「空気」でも活動されているそう。
今回の展示は横浜トリエンナーレで制作された作品(壁を切り取った一部)と、テレビが置いてあり、トリエンナーレで行われた現場制作やワークショップの様子をまとめたビデオが流されていた。人々によって生成される「場」自体が作品。昭和の香り。作家は不思議な事を教えてくれるのっぽさんみたいだった。 みごとにワークインプログレスですね。
神戸の街には具体の精神が伝統になって浸透している感じがする。

搬出後、チェックをしているとオーナーさんが壁の汚れ気にならない?と言われ壁に補修のため白ペンキを塗る事になる。ローラーで塗り塗りする。
最近、壁塗るのがやけに上手くなってきた。笑
真っ白になったところで、ガラスのチェックも終わり、OK。
後は明日。たのしみだ。
せっかく住吉まで来たので、帰りに三宮の東急ハンズへ行く。
私の住んでいる京都にはハンズが無いのですよ。
ハンズ大好き。これ使えるかも等とついあれこれ素材を買ってしまう。
私がマイケルだったらネバーランドにトイザラスだけじゃなくてハンズとコーナンも作るのにな。


明日は11時からやります。
(お昼は休憩で出かけたりします。昼過ぎ戻ってきてまたやります。)
今日は真ん中に丸をいっこだけ描いた。
今回はここから描きはじめます。