コレクション展と散華

午前中voicegalleryのコレクション展の搬入。

車で河原町今出川まで行く道すがら、えらい混んでてちっとも進まない。
平日なのに何?と思ったら、桜が咲き始めていた。
世間は春休みラストスパートなのね。
蹴上〜川端通りはまだ5部咲きくらいかな。

今回展示している小品はパレスサイドの時に制作した鏡の作品「Nirvana 陰陽ドレッサー」と、ドローイング「パレスサイドの夜」と、そのシリーズの新しいドローイング1点「発芽鹿の森」。
ドローイングは小さな紙ですが、鉛筆や絵の具で描いているのではありません。紙のぺらぺらした物質性と絵画空間が、揺らぐところが気に入っている。壁に絵を作ってあります。
9日まで。

そのあと、法然院に行く。
roots展の作家の呉夏枝ちゃんとコーディネーターの山本さんと会う。夏枝ちゃんもvoiceのコレクション展に作品が出ていた。

観光シーズンの今、法然院では年に二回の一般特別公開をしている。いつもは入れない奥の部屋や茶室や庭や楼閣に入ることができる。
法然上人ゆかりのこのお寺は散華で有名。
インスタレーションです。
散華とは本堂のご本尊阿弥陀さまの前の須弥壇に生花を散らし置く行事。
季節によって置かれる花は違い、夏はアジサイ、春は椿。
花の数は25個と決まっていて25菩薩をあらわしている。
阿弥陀様と参拝者の間にある柵(←なんて言うか忘れました。)より向こうの須弥壇がある内陣は来世を表していて外側の外陣は現世を表しているとのこと。だから修行しているお坊さんしか内陣には入っちゃだめなんだって。
お坊さんはあの世とこの世の人をつなぐ役割をする「境界者」なのですね。
現代のアーティストと似ているな。

見なくてはと思っていた襖や屏風絵は、堂本印象さんや、桃山城から移築した狩野元信の襖絵がありました。構図や構成を簡単にスケッチする。
浄土宗のお寺と言うことで期待していた来迎図屏風は江戸時代とわりと新しいものでした。公開や収蔵していないだけで他にもあるのかもね。

庭が…すごくよかった。だめ。
各部屋から見えるすべての景色、完璧な構図でほぼ絵画。
音や水まで使った高度な空間構成インスタレーションであり、パノラマ絵画ですね。また、部屋の仕切りが現代の建築とは違うので、空間構成が豊かでくらくらする感じがありました。

パノラマといえば、稲垣足穂さんのお墓もありまして、最後におまいりしてきました。あと福田平八郎さんのお墓もありました。九州人で日展日本画創世記に重鎮だった画家。京都画壇に骨をうずめておられるのですね。尊敬しております。
なむあみだぶつ。

そのあと夏枝ちゃんとお茶を飲み、彼女を芸術センターまで送って帰る。
雨が降ってきた。
無性に眠くなり、途中で車を止めて個一時間ほど寝る。
休日ひとりでどこかに出かけて、雨や嵐の時に車の中で寝るのが好き。
いい感じなのでみなさんもやってみてください。

最適化

今日は久々の休み。
ホントは小品展の搬入があるはずで仕事をあけてたんだけど、
ギャラリーの都合で明日になったので、今日は空いた。

最近忙しかったので、
脳の最適化を行う。

泥のように昼まで寝てたら変な夢を見た。

昨晩、チャーリーズエンジェルをチラ見しながら√Roots展のHPのデータをやり取り。メールトラブルでデータを送っても送っても帰ってくる。何とか送れて色補正のチェックをする。
もうひとつ、6月から始まる名古屋の連動個展の共通タイトルが、
「キラキラジェネレーション」って言うんだけど、その会場ギャラリーを今週末に名古屋まで下見に行く件をやりとりする。
はじめ私の車で行こうっていう話になっていたのだけど、名古屋市内の運転が不安なのと値段が変らないのでやめてバスにすることになって、ネットで高速バスを調べてたら「キラキラ号」という真っ赤なダサいデザインの格安バスを発見。
あと、私は漫才師のチュートリアルの油ぎってるほうが好き。できるなら付き合いたい。
・・・ここまでは事実。(笑)

今日見た夢は、
作家や親戚が集まる飲み会でroots展とキラキラ展とについてネットを使って打ち合わせをしつつ、知らない誰かと激しい討論をして、そのうち酒が回って場もほぐれてきて、なぜかメンバーに居たチュートリアルの両方から言い寄られてどっちにするか迷う。そしてじゃあどっかにでかけるかということで遠くへドライブに。後部座席にチュートリアルを乗せて真っ赤な大型観光バスを私が運転して高速道路へ。行ったこと無い場所なので方向を間違えて、ターンするため駐車場に入るが、バスの車体が重くてブレーキ感覚がつかめず、必死でハンドルを切るもビルの壁にガリガリとぶち当たって激突。チュート福田に亭主面されてキレられ、そんな人と思わなかったとショックを受ける。
というもの...。
どうやら疲れてるみたいです。笑
癒されたいのねわたし。

人間は夢の中で日常で見た映像や感情や情報を整理して脳のバランスをとっているらしいですよ。
PCのデータをメンテナンスで最適化するのと似てるなと思う。

√roots〜私のなかの日本的なるもの〜
http://roots2006.com/パラの林さんデザインで、素敵なHPができあがりました。

今日はこれから、襖・表具・内装卸の会社にFAXしたり、キラキラ号を調べたり、明日のvoicegalleryコレクション展の用意をしたりします。

ストリート最終日

一ヶ月続いたストリートギャラリーの現地制作の最終日。

今月は仕事の空いた時間ずっと神戸に行っていたのですごく忙しかった...。
今日も朝からアルバイト。
7:30から新たなグループホームの介護の研修。
そこはきれいでいい雰囲気の居心地のよいお家で、私も友人とグループホームに住みたいなと思ったよ。
着替えたりトイレに行ったり歯を磨いたり朝ごはんを食べたりする。

そのあと電車に乗って神戸へ。
午後からストリートギャラリーに行く。

今日は先週末に新しく描きはじめた絵を完成させる。
今週は平日に2回来て壁側に色面を入れた。
ガラス面には白い線のドローイングが続く。

ついたとたん、もんのすごい雨。
横殴りで前が見えないぐらいの雨。暴風雨。
はるのあらしのなか、ひとりしずかにショーウィンドウで絵を描く。

途中オーナーの窪田さんが来られる。
最終日なので記念に写真を撮る。
私がウィンドウの内側に立ち、壁の鏡に映るガラスの絵と、その外側に立つ窪田さんと。撮る。
なかなか面白い、絵画のうちとそと。
いい写真が取れた。
しかしその直後、暴風雨が直撃して窪田さんの傘は裏返ってしまった。

今日は薄紫が壁面に入って、ガラスの白い線が増えて、
ちょうど4時ごろ完成した。
この絵はぺったりとしたガラスで内側も外側も丸見え。陰影も無い白い線の集まりなのにそこにはイメージが生まれている。私の妄想の中にしかない何かの形態や流れが連なって絵画空間が生じている。鏡に映る絵の中には見る自分がいて、映って見えているのは見ている側ではなく描いた側の絵の面だ。壁には色の面があり手前の線と部分的に重なるが図は連動していない。あちらの絵とこちらの絵とフォーカスが行き来するところに、ガラス面には後ろの現実の町並みが映りこんでいる。
最後に見に来てくれたひとと少し話していると4時を回っていた。
6時までに元の状態に戻さないといけないので、
あわてて消し始める。今日は一人。

必死のスピードで、ローラーで壁を白く塗り、
水のスプレーをガラス全面にかけて、タオルで線をふき取る。
自分が何時間かかけてやったことを一生懸命消していく。
白い線は、はらはらとはがれて下にたくさん落ちる。
ほうきで掃き集めるとこんもり白い山になっていた。
これがさっきまでイメージだった物質なのだなと思う。クス。
そんな事を考えつつも、今日はかなり動物的なスピードで消していたので、めずらしく服にべっとりペンキをつけてしまった。

6時、魔法がとけるように、何もないただのショーウィンドウ空間に戻る。

あの絵が完成してこの世に存在したのは20分ぐらいかな。
なかなかよい絵だった。
素敵な映像として私の中に残っている。
ときどき思い出そう。

今回の個展は実験的なことができて、描くという行動や絵画空間の非物質性やイメージとヒトなどについて、日ごろ考えていることを目に見える形に実現化してイロイロと考えることができてよかった。

非常に楽しいので今回の作品と経験についてもう少し考えてみたい。
また詳しく書きます。

帰り、いつものようにボロボロになって帰る。鶴の恩返し後の鶴です。
一眼レフカメラとビデオカメラと絵具の袋と画材袋と三脚とかばんと傘を持って、肩が脱臼するかと思った。
あまりにつらいので向かいの焼き鳥屋に一人で入る。
ハツとレバー。さっき私の絵の中にもこんなのあったなと思いながら食べました。ウマーでした。

ふなばし現代美術交流展

今日は、8月に参加する展覧会の打ち合わせ。
「ふなばし現代美術交流展」
若手作家を取り上げるグループショウ形式のこの企画、今回のテーマは自然、風景、光。
企画者である「今日の美術を考える会」のやまもとまさみさんと、住吉のストリートギャラリーにて待ち合わせ。彼女は東京都現代美術館で学芸員をしておられる。
昨年の個展を見ていただき、興味を持っていただいたとのことで、今回が初対面。
ランチを取りながら、作品についてや、展覧会の企画について、いろいろとお話をする。面白くなりそう。
気合入れて行きますよ。
帰りの電車の中で先日のMOTアニュアルの話から、日本画の話へ。ちょっと日本画についての話が多くなってしまったかもしれないな。日本画に関してはつい熱くなってしまう。芸術は自由であるべきだから。無視できない文化のねじれを知っているから。でも語れば語るほどその枠に集約されてしまう難しさも感じている。
同世代の彼女は知的でとても素敵な人だった。
私の意見も的確に理解して下さったように思う。
最近、学芸員や評論家の方とお話する機会が増えた。
作家とは違う立ち位置から、しかし呼応して共同で、芸術を作り上げるプロの仕事について、しばし思いをはせました。

ところで、私の作品のどういう部分がよかったのですか?と聞いたところ、「見た瞬間にコレいい、と感じた」とのこと。
先週私の(唯一の)師匠であるN原先生から「DM届いたよ。壁に描いてるのいいね。そのままどんどんやりたまえ。」という旨のお電話をいただいた。4月から兵庫の館長に就任されるとのこと。
もっとも尊敬する芸術人。またお会いできる機会が増えそうでうれしい。
その非常に論理的な先生も、いい作品かどうかは「見た瞬間に直感でわかる」というようなことをおっしゃっていた。
やっぱり、言語化以前に生じる「無意識の意識」って、もっとも物事を的確に統括している部分ってあるよな。それってヒトが描くときも見るときも考えるときも共通してるんだなと、思った。

明日はストリートギャラリーのライブドローイング展の最終日。
午後からショーウィンドウの中でドローイングの制作をします。
いかに無意識になれるか。
ガラス面の線と壁に今週から入れた色面が完結して出来上がる予定。
4時に搬出で消す予定です。

先日、友人の太郎くんがビデオカメラを貸してくれた。
結局一人なので映像はあまり撮る暇が無かったのだけれど、画像はおかげさまでいい画質で取れました。(私はデジカメを持っていません。)
ガラス面に映りこむ日常と、透明の支持体に浮遊する絵画空間とが前後する様子を撮れた。
また後日画像もUPしたいと思います。

今日の制作

昨日はその後、京都芸術センターに行きました。

芸術センターは四条烏丸の北西裏、室町通り沿いにあります。
このあたりはオフィス街で着物関係の会社が多い。
芸術センターの建物はドーナツ化現象で廃校になった明倫小学校で、京都市によってアートセンターとして活用されているのです。
√Roots展は、芸術センターの制作支援事業に認定されました。
今日は制作室で手ならしにグラインダーで板を磨いて、スケッチブックにドローイングをしました。
窓の外グラウンドでは雪が降っていた。

今日はこれからストリートギャラリーに行きます。
3時半までウィンドーの中で制作する予定。
そのあとバイトなので京都に戻る。

一昨日行ったワークショップが京都新聞に取り上げられていたみたいです。
障害のある人の余暇活動支援事業。
クラフトのワークショップを行いました。
芸術表現なんて大それたこといわなくても、すべての人が生きるうえで、創造というのは大きな意味を持っている。
休みの日にカラオケや漫画喫茶ばかりじゃなくて、経験や学びや達成感につながるような、そういう場が選択肢に増えればいいと思う。

芸術センターでもワークショップを行います。
こちらは√roots展の事業の一環として。
市民に向けた芸術センターの還元事業です。
お楽しみに。

次の滞在制作は最終日の4月2日で
す。

ふすま

今日は襖屋さんに行ってきました。
法然院で描く襖絵用の襖の下地を購入するためです。
ふつうは建具の卸売りの会社は個人には販売してくれないのですが、友人で作家の山本太郎くんに紹介していただきました。彼は保存修復の会社で働いておられて、作品の屏風にも建具材料を使っているので非常に詳しいのです。
会社を訪問して相談したところ、法然院の襖は特別に凝った仕様なようで、標準にはない幅の広さでした。規格サイズに「かまち」という枠ようの木を継ぎ足して作ることにしました。
尺寸なので今のcmに置き換えていただいて計算しました。
合計20枚の襖下地を注文することになります。
今日は予算とも照らし合わせてだいたいのめぼしがついて一安心でした。

その後、しばし担当していただいた方から襖についてのお話を伺う。
最近は和室がある家が少なくなってきて、襖の需要が減っているとの事。
新築のマンションにはほとんど和室はないみたいです。
しかし、襖は日本の気候にとても適しているすぐれた建築仕様で、湿度が高いときは湿気を吸い、乾燥してきたら湿度を放出する役割をしていたそうです。現代建築で結露のひどかった部屋を和紙の襖に変えたら結露がまったく出なくなったとの事。
私の家もマンションで、結露やビニールクロスのカビには悩まされています。以前建築関係の人に相談したところ、これは直しようがないとのことでしたが、昔の日本家屋は、湿度の高い日本の気候に合わせて「呼吸」していたんですね。なんと優れた仕様なんだ!
私は絵画の展示形態として、かつて生活と調和した優れた形が日本にあったという角度から襖絵について考えていますが、自然と一体だった日本人の文化がここにも読み取れますね。襖奥深し・・・。
便利さを追求して今の建築はハウスダストとかいろんな問題が生じているけど、実は昔のやり方が一番日本の気候に合っているというわけ。
こちらの会社では建築と一体となっている豊かな日本文化をもっと現代の人にも知ってもらって広めたいとのことでした。

日本襖振興会HP
http://www.fusuma.gr.jp/

帰り道、車を運転しながら、今回私がRootsでやることは、まさにそういった意味でも社会の中での芸術家の仕事だと強く思いました。
日本の風土の中で育まれた日本文化を見つめなおし、回顧趣味ではなく、現代の文化と新しい形で融合させること。それを世の中の人の心に映る形で、芸術としての強度を持って提示すること…。

ところで、絵画の話をすると、
以前、日展のえらいさん奥田元宋画伯が描いた銀閣寺の障壁画のポスターを見たとき、びっちりハイパーリアルに描き込まれた紅葉の風景画を見て「なんかが違う。」と激しく思ったものです。
東洋建築に、西洋的絵画技法で、油絵に対抗するべく物質感を発達させた東洋伝統画材を使って、東洋人的情緒性を持って山水を描いた現代「日本画」・・・。
近代に成立した「日本画」という絵画のムーブメントは西洋の絵画技法を取り入れて成り立っています。
しかし西洋の風土・空間感覚で生まれたパースペクティブと、東洋の風土で生まれたパースペクティヴとには、本来根本的に意味に違いがあります。
絵画表現は、思想だけでなく風土や建築と連動して発達してきたもので、絵画空間と居住空間とは深く関連していました。
日本人は居住空間と温暖湿潤な自然とが一体になり緩やかな境界線でもって生活してきました。ヨーロッパのような石やレンガ造りの建築は建てる必要が無かったし、日本に建ててもカビだらけになるでしょう。西洋では、自然から身を守る石造りの、構造上窓の少ない家に、窓の空間を作るように絵画を掛けます。そこに描かれるのは人物が主役です。またフレスコ画や油絵など絵画のあり方も、日本には無い激しい乾燥や風土に耐えるために編み出された技法です。日本では呼吸する障子を開ければ愛でるべき自然があり、外光を大きく取り入れながら、襖にもそれと協調する自然空間を描きます。
それは鏡のように空間を作るためのものではなく、抽象化・象徴化されたものです。

思想においても生活空間においても、自然との調和。
造形空間における洗練された抽象性・象徴性・構成力。
これらは日本美術の持つ特質だ。

そういうありかたもいまならまたできるんじゃないかな。

そんなことを考えつつ東福寺の九条から、鴨川沿いの川端通りを上ると、五条までずっと桜が咲いていました。

一週間

一週間がたちました。

今週は月曜にもストリートギャラリーへ行きました。
火曜はお仕事。知的障害のある人のためのアートの余暇活動ワークショップを開催。
水曜は法然院に展覧会の下見。雨の中、会場を採寸しました。
その夜バスに乗って木曜は東京に行きました。ハードスケジュールであまり回れず。しかしいろいろと収穫はありました。4月にもう一度ゆっくり行きます。
金曜は午後に京都に帰ってきてお仕事。
今日、土曜はこれからお仕事。

今週はいろいろと考えたことがあるので詳しくは後ほど振り返ってさかのぼり日記を書こう。

今日の夜から大阪に行って明日は神戸です。
月曜にほぼ完成したのでどうするか考え中。消そうかな。そのままにしようかな。

明日は3時から6時の間は確実に居ます。



明日のドローイング

明日のドローイング(もしくは個人的実験)は、また1時ごろからやります。
途中、休憩を入れて、間を空けながら少しづつ進めます。
(休憩を入れるのは、今回は完成するまでを作品として見せたいのに一気に描くとすぐ完成してしまうからです。)

住吉駅からストリートギャラリーへ坂を歩いて、ギャラリーに着くひとつ手前の道を右に曲がって少し行ったところにあるカフェがお気に入りです。
ショーウィンドウの中にいないときは、そこにいるかもしれません。
このあたりはイチローがすんでたマンションもあるらしくて、山の手っぽくなかなかよい感じのお店があります。
ストリートギャラリーの少し先にはオーガニックのレストランなんかもあり、ランチタイムにぶらつくのもいいかもね。
私はまだ向かいの焼き鳥屋しか入ってませんが。

ところで、そのカフェには3回ぐらい行ったけど、一回目は芦屋マダムがお受験の話をしていて、なぜか標準語で「ところでお父様のご職業は?」「たくの父は開業医ですのよ。」というような冗談みたいなイメージどおりの神戸の昼下がりを垣間見ることができました。神戸満喫。
そこの何がよいかというと、雑誌が充実していてnational geographicがある。
先日休憩時に読んだ記事は(ちょっとうろ覚えですが、)アメリカのある研究チームが、遺伝子の組み合わせが異なる男性何十人かにシャツを何日か続けて着てもらい、体臭の着いたシャツを異なる遺伝子系列をもつ何十人かの女性に嗅いでもらい、それぞれに一番好ましい匂いのシャツを選んでもらう、という実験をしたところ、多くの女性は自分と最も異なる遺伝子系列を持つ男性の体臭を選んだという。
遺伝子系列が異なると、体内に持っている病原菌に対する抗体などが違うため、自分と異なる遺伝子系列を取り込んだほうがより強い子孫が残せる。
つまり、ヒトの恋愛感情は実はそのようなところにも左右されているという話。

ショーウィンドウに入って描いていると、あたりまえだけど歩いてるヒトが見る。みんなハッと立ち止まって見る。あまり覗き込んでくるヒトは少ない。
初日にじっと見てくるヒトが独りだけ居た。
いかにも神戸港の湾岸労働者ふうのおじさんがガラスの向こう側の正面に立って充血した目で私の目を凝視しながら「ねぇちゃん、絵ーうまいな。絵ーうまいな。」ってずっと言っていた。しばらくしたらどっか行ったけど、おっちゃんありがとう。
その日は描きはじめで隅々に線が点在するのみ。素人的目に絵と認識できる形態はなかったと思うのだけど、なんでうまいと思ったのかな。
エッジはおっちゃんにもわかるのだろうか。
実はそれが絵画って事か。
通りがかったある子供は「こんなとこに絵ー描いたらあかんのに!」って言ってた。やなガキ。実は子供ほど自由でなくルールに厳しい。
帰る時は中に小さな丸い鏡を取り付けて帰っている。
覗くと私が描いている側の絵が見えてその絵の中にその人が立っている事になる。
先週行ったら、その鏡を覗き込んだ人のひたいの跡がガラスにぺっとりついていた。すこし嬉しかった。
先週帰る時は、線の断片が繋がり合い、いろいろと何かの形態のようなものが浮かび上がってきていた。
帰り支度が終わって外に出てひっそり見ていると、知らない女の人やおじさんが立ち止まって絵を見て笑っていた。
形態が出てくるとヒトの中にイメージが生まれるようだ。
私の中から出てきたそれはああいう感じなんだと、そのおじさんの顔を見て思った。ふーん…。
絵画ってつまりはそういうこと。
明日もこっそりやろう。

悩みのたねは、寒いと吐く息が結露して絵の具がガラスに乗らないこと。
なるべく描いた瞬間と同時に均一に定着させたいけどこの素材じゃ無理みたい。重ね塗りして仕上げてますがそこはそんなに大事じゃないです。
いまその関係が一番できてるのは紙を切る作品。
今日はペーパーカットのドローイングをたくさんしました。
雨の日は落ち着く。