キラジェオープニング

名古屋から帰ってきました。
今日はリレー個展の一番目三瀬君の個展のオープニング。
中部ぴあや美術手帳にも載せていただいたらしい。
なかなかよいオープニングでした。
名古屋というのはおもしろい土地だなぁと思う。

今、社会も美術も権威や形式の転換の時期だと思う。
これまで信じられ作り上げられてきた理想への疑問。
キラキラジェネレーションという世代論には
そのような意味合いも含まれている。
アーティストトークでは
私はそのような話もしました。

私と三瀬君と山本君は三人でよく展覧会をやっているので
仲良しだねといわれているらしい。笑
同じ疑問を感じながら全く違う答えを出しているからだと思うんだ。
共有できる意識があるのはもちろんだけど、もし似たような作品を作っていたら一緒にはやらないと思う。

いろんな意味で充実した滞在だった。
いろいろとおもしろい人と出会えた。
作家と同じく、美術を支えてる評論家や専門家も
実は2・3人の天才と1000人の凡人だ。

私はこれからもっと怒ることが必要なのかもしれないと思い始めている。
自分という存在にもっと自覚的になること。
それはさみしい道だけれど
そうしないと本当のことは容易には伝わっていかないのかもしれない。
包み込むことは強いけど、社会性という名のもとに人は日々いろんなことを薄めて中和して暮らしている。
本当に大事なところで怒れる人というのはそんなにいない。
そういう怒りを内にもっている人は尊敬する。

そして私はもう作品を作らないことにした。
アーティストにしか出来ない仕事についてもっと意識的になる。
そんな感じで急いで帰ってきました。

金鯱赤味噌ビールに衝撃を受けつつ。

春あけ

6月です。
うっとおしい春があけました。
いよいよ梅雨です。
私は春が嫌いです。
うれしいです。

今日は芸術センターに
材木屋に注文した物が届いた。
そして入り口部分の下地を作った。
出口はほぼ完成。
絵画なのに出口なんですよ。
絵画空間を割って入って割って出る。
襖って一体なんてことなのだ。
額縁なんていう概念を超えている。

夜はミーティング&飲み会。
スペシャルゲストを招いて、
√roots展のトークイベントについての顔合わせ。
番長会談。

今帰ってきました。

√roots〜私の中の日本的なるもの〜
展覧会初日の15日、
京都造形大学教授天野一夫氏をゲストに招いて出品作家の
トークイベントを行います。
このテーマについて多面的に語れるのは
この方しかいないのではないでしょうか。

面白いものになりそうでわれながら楽しみです。

今日はこれから名古屋に行く準備をします。

ワカメ

なぜかとつぜんPCのフォント表示が最大サイズになる。
コメントが書き込めないし、ミクシィもものすごく字が大きくて読み込めない。なおらない。
なぜか携帯のメールも最大文字になっている。

午後芸センで制作。
入り口の紙を貼る。
夕方仕事の用事で河原町まで出かける。
その後画材屋に行く。

おなかがすいたので途中でラーメン屋に入り
にゃんこつラーメンを食べる。
あまりおいしくない。

高島屋の前を通りかかり、NEXTにM君が出してるのを思い出して見ることにする。
NEXT見たの超久しぶり。第一回展を筑波に行く前に見た。
京都の売れっ子の日本画の展覧会。
先生方の作品は変わらず美しくみやびでした。
これが本当の「日本画」ですよ。
最近私の作品を新しい日本画って勘違いして言う人が居るけどそういう人は日本画を知らない人だ。東京の人は特に知らない。
私の作品とは根本的に立脚しているところが全く違う。
京都の伝統工芸展が開催されるのと同じ会場だったけど、京都の日本画とは本当にそういうもの。
それが悪いとか良いではなくて、時代が求めて経済や社会と絡み合って、ある設定された価値観のもとに、技巧を凝らして作り上げられたもの。
芸術は自由なものだけれど日本画はその存在意義からして根本的に自由なものではない。「新しい日本画」なんて定義は成立しない。
西洋に対する視点から必然性を持って生まれた日本的なるもの。大学、美術館、デパートなど、日本社会の近代化の中で、発表や販売形態すべて含めて日本画という世界は成立している。
その価値観はある一つの理想に固定されていてどの作品も思想は同じ。花の種類が違うか風景の場所が違うか絵の具の重なり具合が違うかが作家の腕の違い。それこそが日本画だ。
これはこれでいいのだ。
日本画は日本画のままでいい。主流を選ぶのは社会。歌舞伎やクラッシックは主流じゃないけど存在している。
私は違う道を行く。
M君は浮いてると言ってたけど当たり前。それでいいんだよ。

銀行の前にダースベイダーの像があると思ったら、
黒い大理石で出来た舞妓の像だった。
祇園のおばあちゃんと母のことを思い出す。
私が日本画を学んだ大元。
首がぬるぬるすると思ったら
耳の穴からワカメが出ていた。
両耳のワカメを引きちぎって芸センに帰る。

私は日本画を憎んでいると同時に愛している。
それは母への思いと似ている。
自分の一部であるけど自分とは決定的に違うもの。
絶対的な権力を持つ乗り越えるべき相手。
そして今は年老いている。

名古屋に行くきっぷを買った。
今日も帰りは多幸感。

くま

今日は制作。

材木屋さんが木を取りに来る。

みんなの持ち寄った本や図録で憩いのテーブルの上が知性の塊のようになっている。
そしてさらに持ち寄ったお菓子の山。
絵を描く合間にそれらの本を読んでお菓子を食べる。
パラダイスだわ〜。

中野君に借りたかいやそばーじゅを読む。
愛子ちゃんが買ったこぐまの本を読む。
水木しげる妖怪百科を見る。
世界遺産の本を見る。
同じ本を読んでも思うことは人それぞれ。

私は、
日本の第二次大戦後の第九条制定と、
9,11後のNYで見た反戦デモと、
ブッシュとキリスト教と中東とイスラム教と、
東洋思想と陰陽と、
近代美術史について思いをはせました。

陰陽とは世界を表している。
陰の中に陽があって陽の中に陰がある。
それらは69の様に交じり合い世界を形成している。

世界は善と悪では割り切れないのです。

去年金沢で見たマシューバーニーの拘束のドローイングも、
二元論的西洋的価値観の世界から脱却して
野生の思考の新たなるステージへ嫁と共に旅立つという決意ではないかな。と思い出した。

ご飯を食べに芸センを出る。
歩きながら植木のうねりを見ていると
世界は美しく満ちていると言う感覚にとらわれた。多幸感。
夕ご飯にタコライスを食べる。
出てきたタコスは雄のくまの匂いがした。
くさい。
獣の匂いのするごはんを食べる。
愛子ちゃんが、妻有のマタギの村ではくまをしとめた人がそのくまの内臓を食べる慣わしがあると言っていた。
正しき野生の秩序。

宮原勇という人の本を読む。
西洋絵画の技法である遠近法は哲学的に言うと主観主義と言える。
一点の視点を設定し世界を対比させて価値付ける。
遠近法の発明は自我の自覚と言える。
自我と他を相対的にとらえる考え方である。

私は思います。
それに比べて東洋的絵画空間は無我の境地なのですよ。
西洋的視点では捉えられない、世界の有り様を表現しているのです。
視点は一点ではなく混沌としている。部分は全体であり全体は部分である。
現実と意識の間に視点は存在する。
混沌としていながら真実を表している。

昨年光島貴之さんとコラボレーションしたときのことを思い出します。
光島さんは全盲の画家で触覚で捕らえた世界をラインテープで描きます。
学校で教わるデッサンとは全く違うあり方で、私の知っているのと同じ世界は確かにそこにあった。
西洋において遠近法は行き詰まり、ピカソはキュビズムの発明により世界に一歩近づいたとも言える。

と、いうようなことを考えながら、今日は出口を描きました。
日本に生まれてよかったと思ったり。

あとキラキラジェネレーション(笑)用の小品を2点描いた。
今週末は名古屋です。
時間があったら名古屋の美容院で名古屋巻きにしてこよう。

いば愛

ここ数日の様子。
仕事→芸セン
仕事→芸セン
仕事→力尽きる
今日は仕事終わったら8時でした。
閉館の10時まで作業しに行こうかと思ったけどやめる。
ご飯を食べながら下妻物語を見ました。
下妻って聞いただけで笑えます。
修士課程で筑波大に居た頃、下妻のタマ姫殿にアルバイトに行っていたので懐かしいです。地味婚やガーデンウエディング流行りの時代の中、ハリボテのシンデレラ城とゴンドラのある立派な近代日本的結婚式場で、私は車で時速70キロで1時間かけてそこまで行き、新婦の友人の茨ヤンがモームスの歌を歌い踊る中、これまた最近見ない尾頭付きの鯛を配ったりしていました。
京都育ちの私にとって茨城は本当にカルチャーショックの国でした。
地平線が見えるのは本当に怖いです。
茨城といえばヤンキーで、通称「茨ヤン」といいます。
ピンクのスカジャンを着て夜歩いてたら、車に乗った茨ヤンに追いかけられ100メートルぐらい走って逃げたことがありました。仲間だと思われたのでしょう。茨城は車社会で道を誰一人歩いてないので本当に怖かったです。
田舎は怖いです。
NYよりもずっと衝撃でした。
NYではマンションの一階がスーパーマーケットで、右隣がトイザラス、左隣がバージンメガストア、向かいがバーンズアンドノーブルズ、階段下りれば地下鉄だったので、京都や東京に居た頃とほとんど生活様式が変わりませんでした。
地下鉄に乗って仕事に行って本屋で立ち読みしてスーパーでお惣菜買って。
都市生活は世界共通です。
田舎も世界共通なのかな。

世の中にあんなところがあるなんて、っていうか千葉も埼玉も日本の大半がああいう感じだなんて、知らなかった。あすこで私は京都を見つめなおしたし、いろんな大切なことを感じた。今の私の作品の思想の大半があそこで見つめなおしたことから生まれている。
茨城に2年間行って良かったと本当に思う。

でも、行くとすぐ帰りたくなる。笑

しっとり

今日はしっとりしている。
そしてなんだか来訪者が多いです。異国の人とか。

私は知的障害のある人のためのアートのワークショップを企画しています。
明日はその日。
朝から材料を買いに行く。
今回はケーキの材料で立体作品を作るというもの。
食紅を使って赤や緑色の生クリームを作って絵を描くのです。
最後に食べる。
我ながら楽しみ。

昼から芸センへ。
愛子ちゃんといろいろおしゃべりする。
中沢新一の熊の本を借りて(横取り)読んだ。
人がカレイやヤギと「つがう」神話。
この本おもしろいなぁ。
西洋的二元論とは違う世界にこれからの未来を見出す。
これってわりと今の主流なのかしら。ひひ。
さらに愛子ちゃんは泡立てマシーンを借してくれた。
明日は腱鞘炎になるかと思っていたので非常にうれしい。
助かった。

愛子ちゃんと入れ替わりに
夏枝ちゃんが来る。
あまりのハードスケジュールでやつれている。心配。
エルマガに√rootsの記事が出たらしい。
ふむふむと読ませていただく。
続いて、つがいの中野くんが来る。
帰るとき見たら今日はJに更なる変化が・・・お子の手からドビュッと・・・☆

私は線をひいた。

外に置いておいた蝶は飛んで行ってなくて死んでた。

今日の曲
フアンタスティックプラスティックマシーン
ブラフマン トンファー 

痛い

今日は午前中は家。
週末の仕事の準備やら名古屋のDMやら作品の材料のことやらであちこちに電話。

昼あわてて出かける。

田中直染色材料店に行く。
先日ワークショップで夏枝ちゃんに教えてもらった染料を買った。

芸センに行く。
材木屋さんが来る。
一昨日届いたコンパネ。注文したサイズと合わない。
向こうが切り間違っていたようで取り替えてくれる。
値段も間違っていてそれは昨日届けてくれた。

なんかややこしいなぁ。
もういろんなことで日に日に予定がずれていく。

このコンパネを使った作品の土台部分を自分で作ろうかと思っていたのだけれど、もう時間も無いし作るのをやめて注文することにする。
おっちゃんに見積もりを頼む。

襖の他にも作品を作ってるのです。
今日はそれようの下絵をやる。
4時に帰る。

車から自転車に乗り換えてバイトへ。
幼児と遊ぶ。
子供たちで追いかけっこしているうちに自転車がひっくり返って激しく転倒。押さえていた私も一緒にひっくり返る。
いろいろすりむく。
幸い子供に怪我は無かった。
子供は柔軟だなぁ。

家に帰ると、あちこち打ち身で痛い・・・。
そして見積もりFAXが届いていた。
4万近い。
ほんとうに痛い・・・。

昨日と今日のBGM
スーパーカー ハイビジョン
ファットボーイスリム ブライトンビーチ

遊園地





今日も遊園地の中で絵を描く。

朝一番、ついに鏡が届く。
うれしい。小躍りする。

業者のおっちゃんは、一人で手で担いで運んでいたので驚いた。
縦の力には強いらしい。なるほど。
シリコン膠着のさせ方など、
いろいろとコツを教えてもらう。
むむむ…。

大広間でドイツからのレジデンスアーティスト、パハトナーさんの展示を見る。人の動きや活動をテーマにした映像作品。
ところで、フトみると大広間にある欄間の透かし彫りが、先日風呂敷WSのときに私が切った型とほとんど同じで驚いた。桐に鳳凰。
芸センに縁を感じる。

今日はガラスの土台になるパネルを作ろうと思っていたのだけど
今日も撮影が続くことになったので、
スペースの関係上、予定を変更して一日襖をやる。
みんなそろそろ追い込みに入ってきている。
今日は撮影の林君の他に、中野君が来て、Jがまたムクムクと育っていた。

みんなよい作品が出来るといいな。
くだらない作品と一緒に自分の作品が並ぶことほどイライラすることはない。本当に嫌。
村岡サブロウ先生は夜中に壊してまわったらしい(伝説)けど、その気分解るわ。

今回はすごく楽しみ。
きっとおもしろい展覧会になるだろう。

はやく夏にならないかな。
昨日は雨だったけど、今日はいい天気。
昨日は雨のおかげでちょうちょを捕まえた。
弱っている。
ジップロックにいれて、じーと見る。
花は今日摘んだエサです。
タッパーを開けるとすごくいいにおいがする。
今日は蜂をひろった。
死んでる。
蜂は近くで見ると毛がボウボウ生えている。
じーと見た。

帰りに見ると、蝶が花の蜜を吸っていた。
外に置いて帰る。