オムツがとれたので山へいく


赤ん坊が出来てから自分の時間と言うものが無くなり、注文を頂いた作品だけ制作してそれでありがたいことですが夜寝る暇もなく手一杯でした。個展や展覧会は到底無理でセーブしていましたが、チビタもずいぶん人間らしくなってきてオムツもとれたので、来年あたりからまた展示を入れて動く年にしようかなと思っていたところ、いくつか話が舞い込んできました。
来年は美術館で展覧会するとこになりそうです。
あと今年は夏から秋にかけて、関西で野外展に出すことが決まったのと、秋田から呼んでいただいてアーティストインレジデンスに行くことになりました。
ここ数年作ってきた鏡の作品は技法的にも極められてきたのでそれを今度は野外展開したいと言う思いと、このところ大規模なパブリックアートが続きビジネスライクなやり取りに疲れてきたので、どこか山の中でひっそり絵の展示でもしたい・・・と思っていた、二つの思いがあったのですが、ちょうどかなう事となりました。
今まで地道に勉強してきた事が徐々に集約して次へ、そういう時期ってことですね。

関西では野外の山中で鏡の作品を展示、秋田では久々にペインティングにじっくり取り組みたいと思います。
アートで地域の活性化をねらいとした秋田のプロジェクトでは、過疎で廃校になった小学校に展示し放題とのことで、広いスペースがあり、せっかくだからミラーのシリーズのインスタレーションも展示しようかと、もはやいつも通りぜんぜんひっそりじゃ無い感じになりそうですが、とっても楽しみです。
2007年に行った国際芸術センター青森のアーティストインレジデンスは自分の中で色々な事が転機となる時期で大きな経験でした。
また神聖なる東北の地で何が起こるか楽しみです。

for wedding

今年も新しくご依頼いただいて、建築空間のためのコミッションワークもいくつか進行中。

http://www.grandoriental.jp/wedding/
TAGBOATさんと、新しくできるこちらの建物のために作品を作ることになりました。
現在プラング中。思いがけない要望で、時計を作っています。
おもしろいものになりそうで我ながら楽しみです。

結婚と言うのは生命にとって重大な出来事ですね。
生きている時を祝福するような世界を作りたいと思います。

私が生まれる前から世界は廻っていて私が死んでも廻って行くのだなと言うような事を最近よく考えます。悲観的ではなく、当たり前の事として。
ずっと自分は結婚なんかしないと思っていたのですが、結婚して大きく変わった事と言えば、子供が出来て、親が年老いていくのを目の当たりにして、自分も含めた大きな時間のサイクルを肌で感じられるようになりました。今まで他人事だった過去や未来の事が、すべて自分の延長線上に繋がって感じられるようになりました。
地球が胎動している事をほんとの意味で受け入れられるようになったのかなと思います。

そう考えると・・・結婚も悪くないね。笑 素敵な事だ。

日常の穴

緑が気持ちがいい季節になって来た。


今後いよいよ作品を野外で展開する予定。
公園に出かけて小品で作品設置の実験をしています。

森のスケッチの一コマ





穴。




空が絵のなかに落ちて来た。

このところ日々の制作に終われ、子育てに終われ、放電気味でしたので、手がけていたプロジェクトがすべて一段落した3月、次の新しい作品のプランニングと充電をするために子供を連れて京都に帰ってきました。
野猿のように飛び回る可愛い息子はじじばばさまに預けさせていただきまして、久しぶりにたっぷり思索に励む事が出来ました。

そこで、京都芸術センターでクリエイター向けに開催されている「わざゼミ」に参加してきました。「わざゼミ」というのは伝統工芸や伝統文化の専門家と、現代において物作りをする人とをつなぎ、新しい創造をつむぐという京都ならではの素晴らしく画期的な企画講座です。

今回のテーマは「作庭」
以前から空間芸術として興味を持っている日本庭園・・・ということで、ワクワクしながら参加してきました。これまでも修了論文で日本独自の美術空間の一つとして取り上げたり、有名な庭を見たりはしていますが、詳しいところはよくわからないし、本域の庭師のかたに直接本当の話を聞ける機会なんてないですから。

講師の先生は京都に11代続く庭師「植治」の12代目小川勝章さん。
一週間の間、東に西に、一緒に京都のあちこちの名庭を見学させていただきました。
だいぶ変わった兄さんでしたが、とってもかっこええ人物でした。
先生の話は、一貫して庭の型ではなく本質を見てくださいというような姿勢だったと思います。
いい先生に話を伺えて光栄です。

そして、いま手元に残った思い出の軍手・・・。
松のいいにおいがします。いいにおいなので捨てず洗わずに庭ゼミの思い出と共にこのまま置いておきたいと思います。
生まれて初めて松の剪定、手で葉をむしるというのをさせてもらいました。
松があんなにいいにおいだなんて知らなかった。
(職人さんは素手でやるそうです。松ヤニで真っ黒になりました。)

そして思い出の軍足。

思い出のヤツデ。

石。
あるお寺の造園で、この石が重機で運ばれてきてからここに据えられるまでに立ち会わせていただいたのですが、終わった後見るとまるで百年前からここにあったみたいに見えるので驚きました。さっきまで土掘って埋めていたのになぁ。
そのあたりが庭師の方の力量なんでしょうね。品がありますね。
一生懸命土をほうきではきならして振り返ってみると突然庭が海に見えました。
行く前に思っていたインスタレーションとか言う言葉が吹き飛ぶくらいの色々なことを感じました。

庭から感じた事。
自然、自然と人工、伝統と芸術。
これは私の制作テーマとも重なるものです。

私は常々絵を描くという行為は、まるで自然と人をつなぐ「巫女」のようなものだなと思っていましたが、庭師のかたは同じく自然を扱うけれどもっと自然の直中に居て自然そのものである「山伏」のような人達だなぁと思いました。懐が深いです。
先生が、お庭を造っているのではなく「地球を借りている」という言い方をされていたのが印象的でした。
いつも私が作品を作るときに思っていて言いたくてもはっきり言うと陳腐になってしまうのではないかと思って言えない事があるのですが、そういう大事なことを当たり前に普通に共有できる感じがして嬉しかったです。
これはアジアの中でも私達の地域独特の感性なのかもしれないと思います。

色々感じた事がありますがまだまだ消化中で余韻に浸りたいので、後々書きたいと思います。
訪れたお庭の一部。

今回個人的には、庭のすごさと共に、庭と絵画との総合的な空間の関連性も改めて確認しました。
大覚寺大仙院と言えば、枯山水が有名だそうですが、絵はこれ!
狩野元信の四季花鳥図が元々あった禅寺です。
この絵は今は京都国立博物館にあります。
本来は枯山水の蓬莱山と大海と全てが対をなしていた事を感じました。

岩倉実相院も襖絵がすごい!こちらは実物がはまった状態で鑑賞出来る貴重な空間です。
この滝の図、中央の滝を開くとそのむこうに庭が見えます。
有名な床紅葉です。

庭の話を伺ってからよく考えてみると、改めて絵やその置かれている場所を見たとき、描かれている空間とその外に広がる庭に象徴されている思想、風景のコンポジション、中に居る人の動線、建物の意味、場所の意味、全てが関連しあって一つのものが作り上げられていることがよく見えてきました。

私が現代において目指すところもそういうあり方であります。
最近どんどんそういう方向に来ていますが、
なにかこれからもっと面白いものが作れる気がします・・・。


巣作り

usagi
だたいま巣作り中・・・。
昨日は床のリフォーム。

これで住居と仕事場が一緒のストレスから解放だー☆
一人のときはそれで良かったけど一緒に住んでる人がいると日常と制作の切り替えが全然出来なくて、なかなか辛い一年だった。美大でも共同アトリエで制作するのって空気読まないと喧嘩になるのに、一般の人にはそんなデリケートな精神状況やめちゃくちゃなペースがわかるはずもない。日常生活を営んでいる一般の人に迷惑かけられないし。
カタギとヤクザの同居のようだ・・・。足を洗うしかねぇよ!
それを理由に結婚しない決意の作家が多いのももっともだよ。私もそうだったけどそうでない生き方も出来るかもしれないと模索中、努力中。
足は洗いません!存在意義に関わるから洗えへんねん!

去年vocaの作品は春美先輩の別荘でひきこもって描いた。
ご好意で20畳はある素晴らしく広い部屋を3ヶ月も貸していただけた。3ヶ月も山中に引きこもったおかげでいい作品が出来ました。感謝!
それでも部屋がパネルでいっぱいいっぱい。これでも215×360。こんな感じ。
美術家はみんな場所には苦労するよね。



天井高ぎりぎりで描いてたので、描いてる間ずっと圧倒的な感じがしていた。
だけど美術館に持って行った時、美術館は天井が高くてスコーンと抜けててあんまり大きく見えず、印象が違って少しショックだった。
いつもどおり壁に描かせてくれたらなー。空間を自由に支配できるのに。他にもそういう人いたけれど空間を扱う作家としては規定はつらいところです。


上野の森美術館搬入中 たぶん天井高5メートルぐらい。

こちらは2007国際芸術センター青森 天井高5メートル。
クリックすると大きくなります。

そういえばこの前川村記念美術館でマークロスコ展見たんだけど、最新の素敵な展示室で5メートル以上ありそうな天井高の壁のほぼ真ん中の位置に絵がかけられていて、シーグラム絵画が一堂に会する展覧会として素晴らしい力の入れようだったのだけど、ものすごく高い位置すぎてあまり良く感じなかった。黒い絵は別の空間で目線の高さだったけど、ロスコの作品は身体が包まれるあれ位がいいと思う。
本人が生前に展示は高めにかけてくれって言ったらしんだけど、さすがにあれは想定して描いてないと思うな〜。カタログでロスコのアトリエ見たら絵の大きさが天井ぎりぎりの所で描いていた。
たとえば私も小さいギャラリーで天井寄りの高い位置がいいなとかぼそっと言ったのが、死んだ後にグレードアップした美術館で10メートルの吹き抜けに作家の意思を尊重しようって8メートルの位置にかけられたりしたらどうしよ・・・と思いました。

ところで学生の時、シュナーベルがテニスコートでどでかい作品描いてるのをビデオで見て、いかにもアメリカ!って感じで憧れたけど、最近学芸員さんに聞いた話で、同じく大作のモーリスルイスは小さなアパートで奥さんが仕事に行ったあと、キッチンのテーブルの上でキャンバスを巻物みたいに少しずつ広げて描いていたらしい、という話を聞いてもっと驚いた。違う意味ですごいな!逆にそれでステインのああいう作品ができたのかもしれないと納得。

とにかく、制作環境と展示環境は人が思う以上に作品に大きく作用する。
今度の仕事場は天井高3メートルあるので大きいタブローもどーんとこい。
どんな作品が出来るか楽しみにしていてください。






アトリエ

ここ一年間ずっと広い物件を探し続けて来たかいがあって、ようやく見つかりました!
制作に理想的な物件が。

ネットで毎晩毎晩ひたすら日課のように探してたんですが、ついにビビッと来る出会いが。
最近は便利なもんで、現地に行かなくても賃貸情報サイトとGoogleという組み合わせで家にいながらにして物件を見る事が出来るのですよ。
東京近郊のありとあらゆる変な物件を見て、もはや間取りマニアに近い感じに。
今わたし家賃相場はかなり詳しいよ。
とにかく広くて安い!を基準に探していたのですが、同じ広さでも駅からの距離、築年数、間取り、所在地のイメージによって値段(=人気)が全然違う。ライフスタイルに合わせてどれを取るかの選択だけど、安くて広くて都心にあるってのは100%難あり物件(笑)で、おいしい話ってのはそうないもんだと思い知らされる。
とんでもないのがたくさんあった。例の上にDJが住んでる部屋もそうだし。今でも気になるのは中野で一軒家、家賃12万100㎡だけど、部屋がタイル貼りで全ての部屋に椅子付きカウンターが付いてる上に店舗不可とか。面白いけど使いにくすぎる...。
プライバシー問題で話題のGooglemapですが問題になるだけあって超便利。お世話になりました。
深夜に賃貸サイトでいい物件があったら、Googlemapで調べればストリートビューで即その場所を散策する事が出来る。物件の外観が見れるのはもちろん、駅からの距離を歩いてみたり、お隣の家の雰囲気をチェックしたり、商店街の店並びを見たりと便利きわまりない!!!
そこまで絞ってから内見してたのでだいぶと不動産屋に行く手間が省かれた。
あ、最終的に決めた物件は残念ながら面白物件ではなくて、最も合理的な正方形です。

今月はいよいよ引っ越しで、リフォームに荷造りにと忙しいです。
お友達の皆さんはオープンしたら遊びに来てね。

とにかくこれでしばらく深夜の散歩は無くなりそう。

ネオテニー



ネオテニージャパン・高橋コレクションのオープニングパーティーに行って来た。

上野の森美術館にて7月15日まで開催中↓
http://www.neoteny.jp/

関係者だけのプレオープンなのに、ものすごい人の数ですしづめ状態。入るのに少しずつしか進まないほど。招待状いただいたので何も考えずひょっこり来てしまったけど、しまった、ちゃんと作品見るんだったら今日来るんじゃなかったと思う。
けれどオープニングの高橋さんのスピーチが素晴らしかったので、来てよかった。
コレクターの視点より、日本は経済成長を遂げたけれど文化においてはヨーロッパや西洋の美術の後追いをして他国の文化に巨額の投資をして来たが、まったく自国の美術を育ててこなかった。コレクションされるべき作品や評価されるべき優れた作家は日本にもたくさんあるのにも関わらずそれがなされてこなかったのは、残念な事であり、これから日本文化の未来を考える上で改善されるべき問題である。それに取り組みたい。というような話であった。

展覧会はここ数年日本の現代美術シーンを形成する作家達の代表作と言える作品ばかりで、個人でこれだけのもをそろえられるって言うのは高橋さんの覚悟のすごさと同時に、他にそういう人がいない現状の日本のマーケットの未発達さも表していると思う。
ナオテニー「幼形成熟」という名の通り、コンセプチュアルというよりは個人的変質的熱狂的な表現の作品たちが集められていて、展覧会としても、また個人コレクターとしても趣向的に筋の通ったコレクションだなぁと思う。もちろんハイクオリティな作品ばかりだったけど、まとまった方向性として見えてくると自己批判能力がない日本人の性質の一つの特色をも表しているような気がして考えさせられた。あの中で異色なのは村上隆だな。最も偏執狂的に見せかけて実は最もコンセプチュアル。日本人ぽくない。
個人的好みで言うと秋山さんの作品が好き。なんだか人の根本的な欲求を表してるようでいつも心にひっかかる。あと加藤さんの彫刻の一番小さいのが生理的にぐっと来る物があり、ポストカード買って帰りました。あれほしい!

ところでスピーチを聴いて、私も同じ事をNYのアートシーンを見て来たときに感じたのを思い出した。
若い作家の力量や発想は、日本とNYと比べても変わりないと思ったけれど、それを支えるシステムが日本には全くない。
同世代の作家が同じインスタレーションのアイディアを持っていたとして、NYでは若い作家の作品を買う人がいて、ギャラリーや美術館や経済のマーケットによりお金が発生してより大きなプロジェクトを実現していくことができるけれど、日本では同じアイディアを持っていたとしてもお金が発生しないので自腹でやり続けるしかない。同じ事を実現するのに何倍も何年も時間がかかるのを感じる。そうして作られた物もなかなか系統立てて保存されない。知的財産が残らない、オリジナルの文化が発展しないってことだ。優秀な人は同じくらいたくさんいるのに。
NYでは社会の中で文化の意義や有効性が理解されていて、美術が社会を構成する一つの要素として機能している。
日本では美術が閉じていて経済や社会とつながっていない、それは社会の中で必要とされていないのと同じではないか?
アーティストやギャラリストそれぞれがこつこつと努力して行くのはもちろんのことだが、私はこれを改善するには大切なのは「教育」だと思う。美大の専門家養成ではなくて一般の人が受ける文化教育。リサーチして行くと根本的にそこが大きく違うような気がした。

しかしまぁ東京のアートブームを見ていると社会とアートがつながるには「ファッション」ていう手もあるのかもしれないな。私は嫌いだけど。
あこがれって人を動かす発達の本能のキーだから。
何億円も出して「ひまわり」とかの絵画をおじさんたちが買い漁ったのってものすごい西洋文化コンプレックスから来てると思うんだ。自分の国に皆が言う「文化」がないから欲しいわけで。どんだけあこがれてるねんっておもうけど。しかしそのコンプレックス克服の努力のおかげで今の世代は西洋コンプレックスが全くなく育ったとも言える。今は「ひまわり」のイメージはうんざりするくらいあちこちにあふれてるけど若沖って何これ?ゴッホと同じくらい面白いんじゃないか?とコンプレックス世代が否定した過去の物が新鮮味をもって現れてきている。これも「文化」じゃないの?って。

最近、受け手の変化とともに、表現者の間でも日本画(厳密には日本絵画の古典技法)的表現が見直されて来たけれど、山口さんや天明屋さんの作品はイデオロギーの変化の過程で発生したわかりやすいジェロみたいなもので、これからより踏み込んだ日本絵画の咀嚼による新しい表現が生み出されて来るだろうと思うし、個人的にもそうあらねばならないと思う。
開国150年、戦後60年、私達が暮らしているこの社会の文化も次のシーンに成熟途中。
これからどうなっていくのか、わたしたちはどうしていくのか、いけるのか。
おもしろいな。

と、いうようなことを、かえりみちとりとめもなく考えたよるでした。







雨は再生





楽園



平等院は1000年前に極楽浄土を模して作られた。
ハワイは南の楽園と呼ばれている。
秦の始皇帝に命じられて除福は蓬莱島を探しに出た。
アダムとイブはパラダイスを追放されて、
コロンブスは新大陸を発見した。
須弥山はインドのシュメール山。
シャングリラはチベットの中甸。

楽園て、なんなのかなとよく考える。
人の心の中にある想像の理想郷。
ここはまるで楽園のようだとか、天国みたいとか、極楽だとか、
よく口にするし、他者との共通認識として持っているけど、
本当はそんな所はない。

住んでしまうと、そこはとたんに現実になるんだ。

現実には無いのが楽園。

私たちが共通認識している楽園のイメージってどうして生み出されるのだろう。




侵入者



リビングに突然現れた侵入者。
一瞬びっくりしたけど、とってもかわいい。

ヤモリが家に現れるといいことがあるそうな。

近くで見ると恐竜のよう。

ほんとはこんなちいさくてコップのなか。


あんまりかわいかったので
テーブルの上のめんつゆにつけて
つるんと食べたくなったけど
やめました。

しばらく飼うことにする。