神戸と京都の夜

昨日はストリートギャラリーにて6時くらいまで制作。
今回は絵画空間が成立する途中を見せることが目的なので、
成立していっぱいになったら消してゼロにして次の途中を見せなくてはと思っていて。
来る前は今日出来ちゃったら消そうかと思っていたけど、ゆっくりやったら、まだ余地があって楽しめる感じなので、今日はこのまま帰る。
まだ続けることにする。

本当にリアルな図像を結ぶのは無意識の瞬間。

描いているとき私は何を描いているのか。
関係性によって成立する空間のスキマ。

私たちは何を知覚しているのか。したつもりになっているのか。その瞬間、何が脳の中で生成されているのか。

私は今回ガラスに白い線を引いていますが、
絵画の中には何があるのでしょうか?
何もない。○×
ある。○×

むかし空間概念というフォンタナの作品がありましたが、
私はDanGrahamという作家が好きで。
NYでパビリオンもいくつか見たけど、
おととし千葉美術館でやっていた展覧会で、
初期のビデオの作品を見ることが出来てすごく感動した。
観客を背に鏡の前に立ち、鏡に映った観客の様子を言葉で描写していくもの。
ミニマリズムはすごく好き。
でも、私はコンセプチュアリズムやミニマルが排除したイメージの力についても混ぜ込んで考えたい。
いつも時代の反動が表現を作る。
だからソルルゥイットやビュランみたいにただのストライプにはしないし、作品も売る。

イメージや認識できる具象形態が入っていること、陰影がないこと、絵の具の厚みがないこと、が、私の作品がよくイラストレーション的っていわれる由縁だけど、その規定がイラストレーションじゃないのは少し考えれば分ることだ。
それ以前に、安易にイラストレーション=×って思っている人自身が既成概念的で幼稚だと思う。今時そんな人がいるなんて驚かされる。
もう少し考えてみるべきじゃない?
知ってる人も多いと思うけど。
(先日、記事を書いてくださった方はそうではない使い方をしてくれていた。)

空間の関係って、
支持体と絵画の関係でもある。

昨日はストリートギャラリーを終えて、京都に帰ろうと思ったら人身事故でJRが止まっていた。
おかげでギャラリーに届ける作品があったのに間に合わず。
しかし、その後、友人作家に誘ってもらって、偉大な女性作家さんたちの会合にお邪魔する。ジェンダー関係のとても興味深い話ができた。他に、笑いと性欲とアートの関係性など。
こんな馬鹿な私の話を黙って聞いてくれるなんて、なんだか地位のある女性って地位のある男性と違ってゆとりがあるわ・・・。素敵な人達だった。
どうして男性って自分を強く見せようとしてしまうのだろうなぁ。
私は男性こそがジェンダーに束縛されていると思うのですよね。
男性が真に抑圧から解放されるべきなんじゃないかな。
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