KIMONO

最近、友禅を習いに行っています。

子供の頃、道具や本や図案が家にあって、それらを見て育って絵を描くようになって学校では日本画を学んだけれど、母は結婚して子供ができてやるのを辞めたので、あれらの家にあった伸子などの染色の道具はどう使うのか何なのかよくわからないまま。母ももう高齢で、話が聞けるうちにルーツを確認してみたかった。私自身は着物を着るたり触れる機会などほとんどなく、外国の人が着物を見るのと同じような感覚かもしれない。
いろいろな着物の紋様には日本独自の造形感覚や空間感覚が表出していて、現代絵画の観点で見てもとても興味深く、自分の作品にはそれらの影響やリスペクトがかなりあるのだけれど、その成り立ちはやはり様々な染色の工程や技法と結びついていて、その関連性ももっとよく知りたいと思って。技法がわかればなぜこのような形で発展したのかがわかり、文化全体がもっと理解できるような気がする。
そして、東京で教えてもらえる工房を見つけて通うことに。京都は、図案と糊屋さんと蒸し屋さん洗い屋さんなど、工程の作業ごとに工房が違って細かく分業制になっているのだけれど、東京の友禅は歴史が浅いこともあり、図案も糊伏せも多くの工程を一人で一つの工房でやることが多いそう。なので余計に全体がよくわかって良かったかもしれない。
実際にやってみると色々とわかることが多い。
図案を墨で描いてそれに絹を重ね面相筆で線を写し取る。ここまでは日本画と同じ。
線を糊で伏せて輪郭の色を残してその内側と外側を塗る。筒状の袋に糊を入れて細く盛り上げて出す。
輪郭線を抜く。ということは内と外が反転するわけで、そして色がにじまないためにそれがひとつながりでなければならない。
なるほどと、リンクすることが多くて面白い。自分が書いてきた絵画ともリンクすることが多くてそれでこうなのかというかなんでリンクするのだろうというか、ルーツ巡りの旅のような感じ。
日本画だけではなくて、浮世絵の木版もそうだけど、日本美術は線のきわを攻める作業が多い。線を描く作業をやっていると身体感覚的に不思議なデジャブ感がある。私の今の鏡や乗れる色面の作品は、線のきわを攻めて最終的に支持体を切って描くという無になっているのだけれど、エッジの関係性というのは重要なポイントのような気がする。
ここで考えたことはこれから作品にしていきたいと思う。
絵画をとことん最前線まで追求した結果、鏡や立体までスケールが大きくなったので、次は過去に戻って絹の時代から考えて平面をまた始めようと思っています。
来年、「木曽ペィンティング」と「中之条ビエンナーレ」に参加するのでそこで発表する予定です。
どちらも作家が始めた作家主体のアートプロジェクトで、とてもよい企画なので、じっくり取り組みたいと思います。
それにしても、紙と違って布は引っかかるし、動くし、糊置きは難しく、全然綺麗に線が引けない。
先生のは神業!
最近、老眼みたいで、線が見えないからハヅキルーペを買わなくては・・・。
二回目。
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