ワンダフルワールド展「楽園/境界」作品について


「ワンダフルワールド こどものわくわくいっしょにたのしもうみるはなすそして発見!の美術展」
http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/wonderfulworld.htmlhttp://www.mot-art-museum.jp/exhibition/wonderfulworld.html
5人の現代美術作家による展覧会。
子供も一緒に美術を楽しめるというテーマで企画された、美術館としても新たなチャレンジの展覧会です。
それとは別に、純粋に美術作品としてもそれぞれの作家が新作を出していて、日頃の制作が大きな形で展開された展示となっています。
この二つを叶えるのはかなりの至難の業ですが、学芸員の山本雅美さんの努力によって実現しました。
 
写真は私の展示室のようすです。
これまでの私の制作が集大成的に集まった空間となっています。
この作品は遊具の形をしていますが今回の子供展のために考えたわけではなく、長年個展でもずっと作りたかった作品で、今回こういったはまる舞台を用意していただいて初めて大規模に作る事が実現しました。

ホワイトキューブの展示室全体をひとつの大きなキャンバスとしてとらえ、想像のイメージを平面作品によって空間を構成し、そこに見る人が入り込んで、2次元と3次元の間に見る人が迷い込み、子供がそこで遊ぶ姿がひとつになり絵画作品として完成します。
絵の中の世界と絵の外の世界、体の内と外、自然と人工、理想と現実、それらが反転してひとつになること。そんな空間を作りたいと思い作りました。
中央には、大きなピンクの絵があり、中に登ることができ、出口はすべり台になっています。
これは「MOUNTAIN/MOTOKO」というタイトルの作品で、絵画作品です。
私のこの作品は「山(自然)」と「母体」と「絵画体験」を象徴しています。
私はずっと自然と自分の関係性を絵に向かい描いてきました。これまでの作品のタイトルも、Nirvana、須弥山、蓬莱山、moutain、、、楽園/境界。
楽園と言われる風景にはほぼ必ず中央に山があり、「山」は自然観や心の奥の風景の何かを象徴しています。
登山という行為がありますが、何の糧にもならないのに何故人は山に登るのか?
すべり台も世界中の公園に当たり前のようにありますが、ただ登って滑る装置がなぜこのようにあちこちにあるのか?
すべり台も山も、登って降りる。登って降りる。何故人は登って降りたがるのか?
何か人間の根本的な生きる欲求と言うか深層心理を現しているのではないか。
生と死の境目、あちらとこちらの間。
あちらとこちらを行き来して人間は産まれてくる。
絵を描くと言うこともそのように原始とつながるための行為です。
そういう意味で、絵画とは内と外をつなぐ「穴」のようなものだと思っています。
またこの作品は私の胎内回帰願望を形にしたものとも言えます。
日本にはあちこちに山岳信仰や、胎内巡りなどの文化があり、そういった場所や遺跡が残されています。
自然に分け入って境界の世界を感じ取り、再生する、生を見つめ直すという意味があります。
穴をくぐってよじ登り、暗い所を通って降りてくる。
上部の黒い部屋には覗き穴があり、穴をのぞくとこれまでに私が描いてきた絵が見えます。それは私が原始とつながり、イメージの奥底をすくい取る行為を通して形に現してきた絵です。
そして一部の穴はこの絵の外の景色(入口で見た「Cave/Explojion」)が見えます。
鏡の作品と同じく、このピンクの絵は内部で絵を展示する空間と絵と見る人が入れ子の構造になっています。
この作品は絵の中に入りすべり台を滑り降りる事によって、自分の内なる自然と向き合い、原始を取り戻して再生する。
そういう装置です。

3歳までの子供は感覚が曖昧で、野性的で、弱くて、生と死の境目にいる、まさに原始の塊です。
それを縛り付けて清潔や善悪や言葉や社会性や常識を身につけて大人になって行きます。
この作品は、その原始だった自分に戻るためのすべり台です。
むしろ子供より大人に滑ってほしいと思って作りました。
だから、子供と一緒に来たママや1人で見に来てくださった大人の方は遠慮なく滑ってくださいね。
この作品は3歳以上としていますが、作品のコンセプトとしても赤ちゃんはそんな装置滑らなくてもそのまままだ生と死の境目にいる原始の塊ですので、滑る必要はないと思っています。

タイトルにある「MOUNTAIN」はそんな山や自然や森羅万象を象徴している事を現しています。
「MOTOKO」というのは、ニキドサンファールのhonという作品が好きで自分が作りたいものと共通性を感じていて、今回ついに作る事ができたこの作品には同じように女性の名前をつけたいなと思っていて、東京都現代美術館の「MOT」の女体ということとでMOT子。さらに元子、素子、すべてのうまれでるみなもとという意味で「MOTOKO」と付けました。そして私の母の名前ももと子なのです。
母へのオマージュであると共に、母になった自分の自画像でもあります。同じように今回の子供展では子供を連れたママ達がたくさん来られていると思いますがその人達の像でもありますし、すべてのおじさんのお母さん達の像でもあります。

これは私が今までペィンティングで描いてきた世界と同じものを表しています。
それらの壁に描いた作品は、展示が終わると消してきましたが、
すべり台作品の真っ黒な上部空間に、覗き穴があり、それを覗くと過去の作品が見えるようになっています。
外が見える穴もあり、展示室と作品、内と外が反転しています。

壁面にはこれまでの鏡のシリーズの作品が集大成的に展開されています。
一番奥の空間には、鏡の「楽園/境界」作品シリーズを初めて制作した記念碑的な作品である、2010年のVOCA出品作「Hole/桃源郷/絵画/眼底」が展示されています。
入口から壁面を一周している鏡の作品は、この展覧会のために作った新作で、「Cave/Explojion(洞窟/爆発)」というタイトルです。
洞窟の入口(人類最初の絵が発見されたスペインのアルタミラ周辺の洞窟)、伝承上の楽園風景、
福島第一原発の爆発の雲と広島と長崎の原爆のキノコ雲、子宮、自然の動植物、それらをスケッチして
ネガとポジが反転しながらひとつのイメージとなって描かれました。
そこから羽ばたく鳥たちが楽園風景を描き展示室を一周して空間を作っています。
生きていると現実には失望や不安や絶望だらけです。
だからこそ人は生命の生きる力として、イメージする力を持っているのではないかと思います。
イマジネーションによって希望の景色をつむぎたい、理想と現実がひとつになった空想の楽園の空間に入り込み、それを見た人の中になにか明日への希望が産まれるようなものが作りたい。そう思って作っています
全ての人がかつては細胞の塊で赤ちゃんで子供だったはずですが、私達はそれをすっかり忘れて理路整然と人工のルールの中で生きています。都会の生活の中では生きていると言うことも特に感じないようにすら思います。しかし理路整然としているつもりでも人間は完璧なコンピューターではありません、体の中では日々細胞が産まれて消えて、忘れたり、気持ちよくなったり、嫉妬したり、嬉しくなったり、おなかがすいたり、欲望や甘えや寂しさや、そういう事に左右されて動いている。確実性のない揺らぎのある自然の一部の生物です。3.11を経てより一層、いま私達はそういう事を思い出すことが大切なのじゃないかと思っています。
子供の視点に立ち返る事でいつもの世界がワンダフルワールドとして現れる。

ぜひ皆様ご高覧下さい。
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