ある日の上小阿仁村 レジデンス

ある日の景色。
メインの285号線も良いけど、山際の裏道を通るのも好き。

どこを見ても美しい村・・・。

「道の駅かみこあに」は定食屋が充実。お昼は毎日ここへ来ている。
おいしいものがいっぱい。馬肉丼。

ところで、こちらに来て、出会う人もそうだけど、
お店の人がとても笑顔なのに驚く。
みんな黙々と仕事してるけど、話すとぱっと花が咲いたように笑う。
帰省シーズンで人も多いし、特別私が外から来ている作家だからという事ではないみたい。
コンビニの店員さんなんかも、普通にレジでやり取りしてありがとうございましたっていうとき、ほんとに友達に笑うみたいな笑顔で笑うんだ。
そんなこと東京でも関西でもあり得ない感じででちょっと驚く。
関西の商売する人の愛想のいい笑顔とはまた違う、普通に人に笑う感じ。
朗らかで笑顔の多いのは秋田の特性なのか、この村の特徴なのか。
人間関係が顔が見える範囲で近いからかもしれない。
とにかく、みんな出会う人出会う人、笑顔がすてきだなぁと思う。
東京でこんな風に会う人会う人にいちいち笑っていたら疲れてしまうだろうな。レジでも品物だけ見て目は会わせないで口だけでありがとうございましたって言うのが普通で特に失礼だとも思わなくなっている。本当は人間のコミュ二ケーション能力のキャパシティーなんて限度があって、この村くらいの数が人間らしさにとって適度なのかもしれない。

制作している廃校の学校は、もちろんエアコンなど無く、あまりの暑さで毎日午後は気が遠くなり、なぜか眠くなる。東北の夏の祭りであるねぶたや花笠等の七夕行事は、由来が「ねぶり流し」(暑さで生じる眠けを川に流す)だというが、今まで意味が分からなかったけど今回ほんとうに眠くなるんだと体感した。
日頃、エアコンのきいた部屋で制作している事が多い体は暑さに慣れていなく悲鳴を上げている。窓を開けると蜂みたいなでっかいアブが猛威を振るっていて、おびえて過ごす。ここ数日くしゃみと頭が痛くて風邪かと思ってたんだけど、7年間閉ざされていた学校はカビがすごくてそれが頭痛の原因だったようで、村の人に手伝ってもらって床にカビキラーをまいて拭き掃除、厚手のフィルターマスクをしたらましになった。
いくら自然が美しいと感動しても、私には自然の中で土地を耕して暮らして行くような体力はない。矛盾の固まりだなと思う。さらに私はアレルギー体質で、杉と米とカビと猫とそういった物がダメで、不思議と排気ガスの所は平気。汚い都会でしか暮らせないおかしな生き物だ。生物として終わってるなと思う。花粉症やアレルギーの子供が年々増えているけど、都市化で人間全体がどんどん矛盾して進化していってるように感じる。
私は、だからこそ自然に憧れるし、自然の生命力に畏怖の念を抱く。
自然と乖離している自分だからこそ、強く自らの中の美しい自然との接点を求めて絵を描いているのだと思う。

スポーツセンターの剥製。カモシカ、熊、山鳥。この辺りのものたち。

上小阿仁の広報紙。沖田面の友倉神社。大切にされている氏神様。

おや、この人は・・・!お世話になっている地域おこし協力隊の彼です。

冬には夜中に裸で神社まで駆け上るという裸祭りが行われる。
林業や鉱山やマタギなどの文化があった地域だけに、男の世界の気風の名残を感じる。
長い冬にはいろいろな文化があり、冬も来てみたい。

今月号はKAMIKOANIプロジェクトも記事になっていた。


私が村でとても好きな場所。新しく移転した丘の上の小中学校から見る景色。
見た事無いくらいアジサイが咲いていて、村役場や道の駅が見下ろせる。

まるで夢のよう。
こんなところ見たことない。

 
大学時代の友達が突然亡くなったと知らせが来た。
天国ってこんなところかなぁ。


ここは楽園か。それとも原始の異界との境界か。


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